フランスは世界恐慌の影響が比較的遅かったが、1931年になると影響が現れはじめ、1932年になって深刻化した。
このためこのような状況に対応できなかった右派連立政府に対する不満が高まり、1932年5月の総選挙では左派が勝利し、急進社会党(中産階級を基盤とする進歩的共和派政党)や社会党(社会主義諸派の連合政党)などが議席を増やした。
その結果、急進社会党のエリオ内閣が成立したが、左派陣営の分裂や赤字財政に苦しめられて6ヶ月で倒れ、以後14ヶ月の間に5つの内閣が交代する政治的混乱が続いた。
この間、ドイツでナチス政権が成立(1933.1)すると、フランス国内でも1934年に極右ファシスト団体や右翼勢力のデモ・暴動が起こり、またそれに反対する労働者のデモも起こって混乱が続いた。
こうした状況の中で社会党と共産党は反ファシズムの共同戦線を協約し(1934)、翌1935年6月、これに急進社会党が加わって人民戦線(ファシズムと戦争に反対する全勢力と組織を結集した反ファシズム人民統一戦線)が結成された。
これより前の1935年5月、フランスはドイツの再軍備宣言(1935.3)に脅威を感じ、ソ連との間に仏ソ相互援助条約を結んでナチス=ドイツの進出に対抗した。
左右両勢力の激しい対立が続く中で行われた1936年5月の総選挙では、人民戦線派が国民の支持を得て大勝し、社会党のレオン=ブルム(1872〜1950、任1936〜37)を首相とする人民戦線内閣(社会党と急進社会党の連立内閣、共産党は閣外協力)が成立した。
ブルム内閣は、週40時間労働制・団体交渉権の承認・フランス銀行の改革・軍需工場の一部国有化・失業者救済の公共土木事業などフランス版ニューディール政策と呼ばれる諸政策を実施したが経済危機を克服できず、退陣した(1937.6)。
フランス経済が回復に向かったのは1938〜39年のことであり、それは軍事費の増大と軍事工業の拡張によるものであった。
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